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 お久です。下手すれば三日坊主も真っ青な勢いで一年放置と言う事になりかねなかった当ブログの、久々のエントリです。


 今回は自称ゲーマーの方が、場合によってはゲーム会社の人なんかがゲーム観やゲームの市場を言及をする時にたびたび見かける、『ゲームらしいゲーム』と言うものは、究極的に個人製作に向かうのではないかという話です。この場合の個人製作と言うのは、本当に一個人による製作と言うわけではなく、フリーゲームや同人などの、言うなれば同好の士で作られるゲームの事です。大抵は独りとまではいわずとも、だいぶ少人数による製作なのではないかと思いますが。
 それと、ここで言うゲームとはPCゲームやコンシューマーゲーム、アーケードゲームなどの、所謂ビデオゲームの事を指すと思ってください。それ以外のゲームにも通じるところはあると思いますが、もしそれについて言及する際は、そうと分かるように修飾を入れると思います。

 ではまず、今回のエントリを書くに当たって、ゲームらしいゲームとはなんなのかに言及したいと思います。
 そのために、そもそもゲームとは何なのか、と言う事について。僕の個人的な意見といたしましては、ゲームとはあくまで娯楽であり、楽しむものだと思います。ゲームは単なる娯楽ではないと言う方はいらっしゃるかもしれませんが、ゲームは娯楽じゃないという方はいないのではないかと。ゲームである必要性と言う面から双方向性や手軽さ、あるいは非現実性なども考えられますが、それらは全て楽しむ為の手段にすぎません。
 そして、ゲームが楽しむものであれば、その本質は面白いと言う事になるのではないかと思います。面白くないゲームは楽しみ辛いでしょうし、面白いゲームは当然のように楽しめるでしょう。
 であるならば、ゲームらしいゲームとは、面白いゲームと言う事になります。これだけなら、まあ当然といえば当然の結果ですが、問題は『らしさ』です。
 ゲームらしさを追求するという事は、ゲームである必要性を追求すると言う事ではあると思いますが、さらに突き詰めれば面白さを追求するという事でしょう。
 では、面白さとは何なのか。この問いかけほど意味がないものはないのではないかと思います。それは個人個人で異なり、そもそも言葉にする事すら難しいものです。言葉に出来たとしても、改めて言及してみると、それは後付けの理由になると思います。自分の人生で面白いと感じたものを列挙し、それらの共通点を探っていっても、結局は面白いから面白いとしか言いようがないところに落ち着いてしまうではないでしょうか。
 そうであるなら、ゲームらしいゲームを作るという事は自分が面白いと感じるゲームを作るという事になり、ゲームらしいゲームを遊ぶという事は自分が面白いと感じるゲームを遊ぶという事になります。
 もうピンときたかと思いますが、自分が本当にゲームらしいと思うゲームを遊ぶ為には、自分でゲームらしいゲームを作るしかないと思います。他人の感覚と自分の感覚が寸分の狂いもなく噛み合うなんて、少なくとも僕は信じられません。
 そんな訳で、もしゲームらしいゲームがあるとするならば、それは自分で作ったもの、少なくとも自分が製作に関わったものとなり、ゲーム会社に所属してない人が言う場合は個人製作になるのではないかと。ゲーム会社に所属していたとしても、諸般の事情により、本当に自分の作りたいものとは別物になると思うので、やはり本当にゲームらしいゲームと言う事になると個人製作になると思います。ちなみに諸般の事情と言うのは、何も予算やら期限やらという悲しくなるような理由だけではなく、自分以外にも面白いと感じてもらうためという真っ当な理由も含まれます。


 極限までゲームらしいゲームとは自己表現の極地になり、ある種の芸術作品になる気がします。結果としてそれを商業的に扱える可能性は否定しませんが、商業をある程度念頭に置かないといけない中でそういったものを作るのはなかなかに難しいかと。
 そういう意味では、EveryExtendや洞窟物語のように、フリーゲームから拾い上げるという方法が、ゲームらしいゲームを商業に載せる手段としては一番有効な気がします。もっとも、あくまで作り手にとってのゲームらしいゲームですが。
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