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 前回のエントリを読み返していて思ったんですが、遊び手と作り手の観点としてのゲームらしいゲームに関する自分の意見は前回の通りとして、売り手の観点としてのゲームらしいゲームの事が抜けていました。今回、その補足と言う形のエントリになります。

 売り手として見た場合、ゲームらしいゲームとは、需要がすでにあることが分かっているゲームではないかと思います。ゲームらしいゲームが従来型ゲームと言う言葉と同じように使われている場合は、大体コレでしょう。売り手と言う言葉にピンと来なかったなら、他人から見た時の、と言っても良いと思います。もしくは、多数決で見た、とか。
 ゲームらしいゲームと言うのは、これこそがゲームだと考える人がいるからゲームらしいわけです。ですから、自分の感情からはなれて赤の他人としてみた時、そう言う人が多いゲームなら、それこそがゲームらしいゲームでしょう。そして、ゲームを進んで遊んでいる人がこれこそゲームだと考えるなら、当然その人はそういうゲームを遊ぶはずですから、そこに需要が存在する事に成るのではないか、と言うのが前段の主張に至る思考の流れです。

 そして、売り手から見たゲームらしいゲームが、需要がすでにあるところに供給されるものであるなら、それが売れないのは
1供給過多になっている
2商品としての質が低い
3すでにその需要が無い
上記のどれかではないでしょうか。
 1に関しては説明不要でしょう。なにもゲームに限らない、市場原理の根幹です。先に待つのは淘汰か、行き過ぎて荒地となった市場でしょう。後者の場合は3に移行と言う事になりますか。
 2と3の境界は結構難しいところですが、多数の人が練り込み不足を感じるようなものが2に入りますね。ゲームは基本的に先払い形式なので、こういうものを出した場合、それ自体の売り上げよりも、次回作の売り上げが落ち込むと思います。ただし、光るものがある場合は逆の事もあるでしょうが。
 3はもう、まんまですね。欲しいと言う人がいなくなっていれば売れません。先の考え方で言えば、売り手からみるとすでにゲームらしいゲームではなくなっているともいえます。

 これを逆説的に考えれば、きちんと作られていて、競争相手もそれほどい無そうなのに売れないのなら、それはもうゲームらしいゲームではなくなっているのではないかと思います。あくまで売り手の観点から、ですが。


 前回のエントリを書いた時も多少感じはしたんですが、こうしてみると、ゲームらしいゲームと言う言葉は、立ち位置をきちんと明確にした上で使わないといけないものだと痛感しました。基本的に僕は自分を中心にした遊び手の立場でいるので、人の書いたものを読んでいた時、話の繋がりが分からなくなる事がたびたびあるのは、ここら辺の立ち位置の差だったんでしょうか。
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